「内金城嶽(うちかなぐすくたき)」~真珠道を行く③~

今日も元気な金城なおこ那覇市議連絡事務所よりお届けしております!
今回はご神木としてあがめられる“大アカギ”の横にある「内金城嶽」という、ネーミングだけでもご利益のありそうな聖域をご紹介します。
古書「琉球国由来紀」で伝えられる神域
沖縄の風情を感じられる草木に囲まれとても涼し気です。
この御嶽の起源は古く、12世紀以前にまでさかのぼるとされます。
「琉球国由来紀」(1713年)によれば、茶湯崎村(ちゃなざきむら)(現松川)のページに記載されています。
王朝時代に女司祭真壁大阿母志良礼(マカンウフアンシタリ)と呼ばれる神女が仕えました。聖域には神名があり、内金城嶽「カネノ御イベ」または「モジヨルキヨノ大神」と言われます。
御嶽の西側には「ムーチ伝説」の由来を伝える小さな御嶽があります。
真壁大阿母志良礼とはどんな司祭だったの?
尚真王代(1477~1526年)琉球王国の神女組織が護備され、最高女神宮「聞得大君加那志(チフィジンガナシ)」 の下、真壁(マカン)・首里(シュイ)・儀保(ジーブ)の「大阿母志良礼(マカンウフアンシタリ)」と呼ばれる3名の高級女神官が置かれました。この女神官を呪女(ノロ)と呼びます。
真壁大阿母志良礼はそのうちの真壁区の祭祀を取り仕切るノロを指します。
書物などによれば、真壁大阿母志良礼は、首里三平等における真和志之平等(マージヌヒラ)を管轄しました。小禄、豊見城、真和志、兼城、東風平、高嶺、真壁、喜屋武、摩文仁、北谷、読谷、名護久志、久米島の各間切のノロを配下に従えていました。す、すごい!大所帯です。
真壁大阿母志良礼の暮らした場所「真壁殿内跡(マカンドゥンチアト)」が、首里山川町内にあります。
ムーチー伝説とは
その昔、首里城の近くに仲の良い兄と妹が住んでいました。
妹が嫁ぐことになりその喪失感から鬼と化してしまいます。村の人々や家畜を食い殺すようになってしまったそうです。
このことを心苦しく思った妹は、兄が好む鬼餅(ムーチー)に鉄を混ぜ、待ち合わせをした崖で食べさせました。
苦しんだ兄は足をすべらせ崖から落ちて死んでしまったそうです。鬼となった兄を退治した日は旧暦12月8日。沖縄ではその日を厄祓いの日として、鬼餅を作って食べることになったそうです。
西側の小嶽は、その兄妹が住んでいた家があったところで、小嶽には妹が祀られているということです。
内金城嶽に降臨する神々
地元の住民が立てた手書きの看板によれば、300年ほど前、この森を通ると霊気に打たれるという村人が続出しました。これはただ事ではないと琉球王府に願い出て拝所を置き、以降神々と王府の交流の場となった、ということです。
この御嶽には年に1度、旧暦の6月15日に降臨する神がおられ、願いを1つだけ聞いて天に上がるのだそうです。なんとも神妙な言い伝えです。国運のかかったご祈祷は、こうした神々によって守られてきたのですねぇ。
隣には堂々たる「首里金城の大アカギ」

首里城跡(しゅりじょうあと)の南、内金城嶽境内(ウチカナグスクタキけいだい)に自生している大アカギは5本あって、推定樹齢は200年!幹の高さは20メートルもあるそうです!!
樹幹にはホウビカンジュ・ハブカズラ・シマオオタニワタリ・クワズイモ・ハマイヌビワなどが着生しています。
先の大戦でなくなってしまいましたが、境内の周辺はこのような大木が群生していたといいます。ただならぬ霊気の由縁がわかる気がいたしますね。
年に1度、大アカギに降臨される神様に何か1つお願い事をしてみましょう。
きっと叶えてくれるかもしれません。
バス停「石田畳前」下車、風情ある金城町石畳道をテクテクと歩いていくと立派な大アカギに出会えます。緑に囲まれた空間で森林浴を楽しみましょう。
お出かけの際には虫対策とハブに注意してください。
それではまた!
参考サイト
- 那覇市観光資源データ https://www.naha-contentsdb.jp/spot/442

