那覇の歴史を歩く「金城橋」~真珠道を行く④~

こんにちは!
WEBコンテンツ担当砂川です✨
いつも那覇市議会議員金城なおこを応援していただき、ありがとうございます。
随分と空いてしまいましたが、本日は真珠道にある「金城橋」をご紹介したいと思います。
1. 金城橋とは?
金城橋は、琉球王国時代に首里と識名を結ぶ重要な橋として架けられました。金城川(カナグシクヌカーラ)と安里川の上流に位置し、1677年頃に木製の橋から石橋へと改修されました。しかし、1809年の洪水で損壊し、翌年に少し下流へ移設され再建されました。1945年の沖縄戦で破壊されましたが、その後復元され、現在も歴史の証人として佇んでいます。
2. 真殊道と金城橋の関係
金城橋は、首里城から識名方面へと続く「真殊道」の一部として機能していました。真殊道は、琉球王国時代に軍事・交易の要路として整備された歴史的なルートであり、首里城から「真玉道」を通り、「金城町石畳道」を下ると金城橋へと至ります。橋を渡ると「識名坂」に繋がり、さらに進むと琉球国王の別荘である「識名園(南苑)」へと到達します。


識名坂(シチナンダビラ)とは?
金城橋を渡ると、識名方面へと続く「識名坂(シチナンダビラ)」に出ます。この坂の名前は、方言の「シチナノヒラ」が転じて「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加えて「シチナンダビラ」と呼ばれるようになりました。かつては松並木が続く石畳の坂道で、王家の別邸「識名園」へと通じる重要なルートでした。
伝説と歴史が交わる場所
この地域には、歴史だけでなく伝説も息づいています。例えば、「魚崎原」という地名は、かつて宮古の人々が海上安全を祈願し、川岸の洞窟に魚の形を刻んだことに由来すると言われています。また、「識名平の遺念火」という怪談も有名です。これは、川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となり、坂の上から川岸まで漂うという伝承です。
3. 那覇の歴史と文化を感じる
金城橋周辺には、琉球王国時代の面影を残す史跡が点在しています。特に「金城町石畳道」は、琉球王国時代の街道の雰囲気を色濃く残しており、訪れる人々に歴史の息吹を感じさせます。また、識名園は王族の憩いの場として整備された庭園であり、琉球文化の美しさを堪能できるスポットです。
4.金城橋周辺を歩いてみよう
金城橋周辺は、歴史と伝説が交差する魅力的なスポットです。橋を渡り、識名坂を歩けば、琉球王国時代の面影を感じることができます。さらに、識名園まで足を伸ばせば、王族が愛した庭園の美しさを堪能できます。歴史好きにも、伝説好きにもおすすめの場所です!
私の個人的なことで恐縮ですが、友人と食事を楽しむ場所に「首里殿内(スイトゥンチ)」さんがあります。うちな~むん(沖縄料理)が楽しめるのはもちろんですが、一番のお気に入りは2か所の琉球庭園。太陽の光に輝く南側の枯山水はとても美しいですよ。
5.改めて真珠道とは
真珠道(まだまみち)は、琉球王国時代に首里城から那覇港へと続く軍用道路として整備された歴史あるルートです。アップダウンの激しい約9kmの道のりで、首里城の守礼門近くを起点に、金城町石畳道、識名坂、真玉橋、石火矢橋を経て、豊見城城下や小禄の丘を通り、那覇港南側の屋良座森城へと至るルートだったとされています。
この道は、軍事的な目的だけでなく、交易や人々の往来にも利用されていた重要な街道でした。現在では一部が生活道路として残っているものの、当時の面影を感じられる場所もあります
日常の見慣れた景色に、このように情緒豊かで深い歴史があったことを知ると、改めて那覇の魅力に圧倒されますね!✨また那覇の歴史について探訪したいと思います。

